この人に会いたいと思っていたり、どうしているかと心配していたりすると、連絡があったり、ふとした拍子に会えたりする。多くの人に共通する不思議な日常体験だ。今読んでいる村上春樹氏の「1Q84」には、そんな相手を思う男女の強い気持ちが切々と描かれている。そんな小説の続きを読もうと、この展覧会をみたら少し時間をとろうと思って入った画廊で、ある女性作家にばったり出会った。
我が家には多くの展覧会案内状が来るが、時間の都合もあって見に行くことの出来る展覧会は極わずかに過ぎない。珍しく琴線に触れた案内状を手に、全く知らない作家の展覧会を見に行って、偶然彼女に会うことになった。しかしその偶然は、実は彼女にとって、まさに「渡りに船」の出会いで、僕に仕事上の相談事があったと、あとで聞いた。そこから察すると、どうも僕にとっての珍しい自由時間は、彼女がわざわざ念じて作ってくれたようだ。いつでも出来る読書より、なかなか会えない彼女と実のある話をすることが出来たのは、僕にとってもある意味、渡りに船のような時間になったのかもしれない。年齢に関係なく自分の夢に一生懸命な人と話をするのは、聞く側にとってもとても刺激のあることだから。
もし本当に彼女が僕を思っていて、僕にあそこで会えたのなら、やはり活躍する女性は、イメージして現実化を引き寄せる力に長けているのかもしれないと思ったりする。「1Q84」でも、男女均等に描かれる二人の主人公が相互に持つ互いへの思いも、どちらかというと女性の念の方が強く働いているように描かれている。想いを実現させる見えざる力は、どちらかと言うと本能的な部分では女性の方が強いのだろう。「女の情念」って言葉もあるし。そんなことを思い返すと、「情念」は男性にはない、女性のもつ独自の本質的能力の一つかもしれないと、偶然の出会いを喜んだ彼女の笑顔が頭を過ぎるのである。そんな彼女には、あちこちに念を送って夢を実現に変えて欲しいと願うばかりである。