家内の祖父の葬儀に参列するために、遠く紀伊長島に来た。いつも感じるのだが、この家は引っ越しをする以前の我が家の雰囲気に似ていて昔の我が家に帰ってきたようでいつも落ち着く。
キリスト教のお別れの会というのは、初めての体験で賛美歌があり仏教のお葬式とは随分と感じが違うなあと感じた。それは二つの宗教観の違いからくるものなのかもしれない。
故人は公の仕事で街にいくつもの大きな足跡を残したと聞いている。その一つにα大橋というものがある。湾をまたぐ大きな橋で、最初にこの街を訪れた際に故人の偉業として案内された記憶がある。その橋の名前はキリスト教のαとΩの思想に由来しているとあいさつで聞くことができた。神のご加護をと願っているだろう。
公の仕事をすることは、凡人にはわからない高い飛行高度から見た視点が要求されると思う。故人には先を見通す力があったと多くが口にするがその通りだと思う。未来へ続く仕事こそ公人のするべき仕事なのだから。
お別れの日の今日、不思議なことに息子の5歳の誕生日となった。自分の息子にも後世に残る仕事をして欲しいと今日は願ってやまない。曾お祖父さんのご加護がいつまでもありますように・・・。