なにかとコンセプトばかりが重要視される現代のアートだが、やはり根本になくてはならないのは、作り出すものに対しての強烈なまでの主観だろう。少なくとも自分はそう思っている。
しかし、主観ばかりでも一人よがりで、車に例えるなら、エンジンだけは大きくてもブンブンふかしているが、ちっとも進まない車のようなものになるのだと思う。優れた力を、イメージに応じて、アウトプットさせることが出来るのは、やはり幅広い教養あってのことなのだと感じている。
現在、グループ展「リトルクリスマス展」で出品中の作品を、美術評論家に見せ話を聞くと、「あなたのイメージには、この書籍に書いているあることがぴったり当てはまる」とこの本を薦めてくれた。優れた知識人との会話は学ぶ事が本当に多い。
自分の主観に従って無意識に作りだした作品を、文章を読んだり書いたりする行為によって客観視する。その繰り返しは、自分の無意識下の興味を自覚することに繋がり、次に作り出す作品の土台を少し堅牢にしていくのだと思う。
論文を書くことがアーティストに必要なのか。良く尋ねられることだが、文章を書いたり読んだりすることで、自分の中に客観性を養い、主観をより自信を持って形に出来るようになるではないかと感じている。