時々、思い返したように大昔に作られた銅版画を見る。描かれているものは、概ね肖像画であったり風景だ。僕にとって描かれているものはさして面白くはないが、技術的な側面に焦点を当ててみると、時代によって変遷があることが分かり面白く見ることができる。少しずつ時代を分け、同じ技法を見比べてみると、その変化を見て取れ、制作者として発見も多い。
ある美術館のご協力をいただき、調査として古いメゾチント作品を3点見る機会を得た。内一点は技法最古の時代に制作されたもので、大変貴重な作品である。ガラスを通さずディテールをルーペで見ると、技法の成り立ちがよく分かる。技法の最初期に作られたものは、当然だが手探りで作られたことがよく分かり、創作への思いが伝わってくる。技法確立後の印刷物として作られた作品は、職人仕事で出来るだけ破綻のないような方法で、的確に作り出されていることが分かる。
3点の作品をルーペを使って隅々まで見る。時代が異なるので、当然道具の使い方も大きく異なっていることが一目瞭然で分かる。内一点の職人仕事によって作れたと思われる作品に、高密度な目立てを見ることができた。私見だが、目の細かい道具を縦横斜めに繰り返しかけることで目立てを行ったのではないかとディテールに見て取れた。それによって生まれた微細なマティエールは、ルーペで見るとアクアチントのそれと似ているが、色調の豊かさは技法独自のものとして見えた。
どんな道具を使い、何回掛けてあるかは、作品からは分からない。だが、想像するに、繊細の道具を使い、気の遠くなるほど丁寧に目立てをしているのではないかと感じる。マティエールの美しさは、粗暴な作りからは生まれないからだ。
自作の制作は、今まで粗い道具での縦横のみの目立てが好きだったが、このような美しいハーフトーンを見てしまうと、少し作り方を再考して、道具からすべて代えてみても面白いと閃く。古典の作品をゆっくり眺めてみると、時には思いも掛けない発見があるものだ。