美術家 大矢雅章の目
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腐蝕技法とわたし
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時々、いつも旅の途中なのですね。と言われることがある。現実的な旅ではなく、制作論のことである。私にとって銅版画の制作はいつも未知なるものを探すことで、それはぼんやり頭の中にある自分の夢に向かってふらふらと旅をすることに似ている。腐蝕による表現はそんな感覚に合っていて、ふらふらとした旅の合間にする発見が今でも多い。
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by guruguru-kobo | 2014-07-26 15:55 | エッセイ | Comments(0)
素描について
描きかけの大きな素描を眺めていると、ふとリオデジャネイロ の植物園で見た世にも奇妙な花咲く木を思い出した。素描はほとんど無意識のうちのものを手探りに探しだして描き留める作業なので、もしかしたら記憶の根幹からふとそんなものが溢れてきたのかもしれない。

木や花を描いていたわけではないが、目の前にある素描には不思議と在りし日の思い出の風景が見える。大きな木の幹から枝もなく直接大きな花が咲いていてなんともまか不思議な植物だと、誰も振り向きもしない木に一人注意を引いたことを覚えている。それはまさに奇妙な出で立ちの人を見るかのように。

場所が変われば、常識も非常識にかわり、こちらが奇妙に見えるものも、価値観が変わって美しいと言われるものに変わる。価値観が変化するような非日常の経験は、旅で味わうことの出来る唯一無二のものだろう。

思考を巡らす時間中で、時折その道筋からこぼれ出るように、自然に手のひらに落ちた雫が、現実の時間に忘れかけた経験を思い起こす切っ掛けになることが多い。気持ちをゆっくりと解き放して描く無意識を形にするための素描は、いつしか記憶の奥底に入り込んでしまった思い出を、深呼吸して体の奥底にある空気を入れ換えるように、体の外に運び出してくれる働きをしてくれる。

ゆっくりと手先に伝わる感触は脳から体全体に宿る記憶を少しづつ形にして、新しいビジョンを見せてくれるが、それはきっと過去に僕が出会った風景の一部なのかもしれないと、時折離れて眺めてみる素描を見て思う。
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by guruguru-kobo | 2011-02-02 17:49 | エッセイ | Comments(2)
趣味と実益
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趣味が仕事と言う人は実は結構多い。芸術家、研究者などの職業はその分かり易い一例に挙げられる。しかし芸術家の中には、作品に直接関係ないことでも、その道では知る人ぞ知る有名人だったりする人もまた多いように思う。

自身に至っては、仕事に関係することしか興味がないので、係わる全てが仕事であり、遊びでもある。例えば、展覧会の企画運営などはオセロや将棋のような頭脳ゲームのようなもので、最初に考えるプランニングにどこまで近づけるかだけのゲームのようなものだと思っている。そんな僕にとっては大がかりな展覧会の企画よりテレビゲームのオセロの方がよっぽど難しくイライラするのである。

最近お付き合いが出来たある作家は、昆虫採集が趣味だと聞いている。その世界では有名な方らしいが、まだ実物を見たことがないのでお誘いを受けている来訪を楽しみにしているのだが、彼曰く「いろいろな趣味が仕事を助ける」らしい。長い作家生活をされている方なので、説得力のある意見でもある。そういえば、魚釣りが作品制作よりも上手いのでは。と、自身でも語る巨匠作家もいる。やはり円熟するまで続けることが、一芸に秀でる秘訣らしい。

そう考えると、僕もすこしなにか趣味をもって長く続けて見たいなあといつも思うのだが、貧乏性なのかついつい趣味で始めたものが、仕事の一環になってしまう。久しぶりにいまはすっかり趣味レベルに落ちてしまった写真撮影をしてみたが、つい、1枚5000円で10枚で5万円か。とアルバイト時代を思い出して、つい、そろばんをはじいてしまうのでやっぱりいまでも趣味になりきらないらしい。

「いろいろな趣味が仕事を助ける」とは、まあこのことになるのだが、僕としてはやっぱり趣味は仕事ときっぱり決別した別フィールドでいつか持ちたいものだと、仕事だか趣味だか分からないカメラのシャッターを押しながら思うのである。
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by guruguru-kobo | 2010-11-02 22:34 | エッセイ | Comments(0)
代弁者
ある小説家の方のエッセイに「職業柄、他人の話を聞くことが多いので、人の身の上ばなしから物語が描かれることがある。」と、ありました。と、同時期に、ある歌手が、自分の作った国民的代表歌は多くの方の言葉を代弁して制作させたもので、自分は代弁者のようなものだとも言っていました。僕の書く文章はこれまで自分の視点を明確に伝えるために描いてきましたが、そんなお二人のことを、はたと思いだして、初めて他人の視点から描いた文章を書くことにしたのです。この文章はある時、長い時間をかけて作家の方が自身の作品について語ったことを、僕の目線を通して文章にしたものです。ちなみに文章上に出てくる「もんもん」とは刺青のことで、今回は日本の芸術に対しての興味を綴ったものになりました。僕にとっては守備の範疇外にあることですが、本当に興味を持っている方の視点というのはどんなものでも、魅力的な内容を含んでいるように思います。

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「もんもん」

私はもんもんを背負いたいと願ってやまない。

しかしその願いが叶うことはたぶんないだろう。しかし「倶利伽羅紋紋」はいつの頃からか私のこころの中の美の基準になっているように思う。

なぜ私がそれを美しいと思うのか、私は分からない。心の泉を覗き混むようにいつも考える。そして悩む。いろいろ遠回りをしてやっとたどり着いた答えを形にする。

そして今やっと、「彫るということ。描くということ。私の体。」それぞれへ、ばらばらに持っていた確固たる興味はやっと自分の中をぐるぐると周りながら、まるで強い紐が出来るようによりあい、形になってきた。私の欲求はここに描き止めることで、ある一つの満足感を得られたが、心の中に散らばる自分ですら見たことない、体をうずかせる欲望という名の見えざるイメージは、まだこれから、私の柔肌の上ではなく、白い紙の上に描かれることになるだろう。

そうなることで、ますます私の興味を私に向けさせて自分の心の深淵を覗き混むことになるだろう。その泉にはどんな世界が広がり続いているのかを、私は知る必要があるのだ。体に刻みを入れるという欲求が、自分の深層心理のどこに埋め込まれたみえざる地雷なのかは、今の私にはまだ明確に探すことは出来ないのだ。その手がかりは、今もこれからも自分の手によって無意識に描きだされて刷り出される白い柔肌に、少しづつ見ることが出来るかもしれない。彫り師によって描かれ、幾時を経ても薄皮に残るもんもんから養われた美意識を、私は私らしい美の形として迷うことなく描き続けたい。
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by guruguru-kobo | 2010-04-28 09:12 | エッセイ | Comments(0)
マキアート
d0134629_011772.jpg少し前になりますが、旅の途中に小説を書いていました。まだ完成にはほど遠くで形になりませんが、誰もが共感出来る些細な恋のお話を書いています。この小説はいろいろな方から聞いたお話を織り交ぜて一つのお話にして行くつもりで書いています。エスプレッソを飲んで旅をした思い出も少しばかりフィクションの元になっていたりしますが、少しだけ、コーヒーつながりということで掲載しました。旅先で年下の友人からコーヒーを飲みながら教わった「マキアート」という言葉が物語のキーになっています。

ここに掲載しているのは、小説のほんのわずかな途中の一コマです。あまりに断片的ですが、ワガママでもありつつ、本当は素直な恋人と再開した男性のたわいないお話を描きたいと思っています。この小説は必ず書き上げると短い旅を共にした友人達に約束しているので、連載で書こうかなあとも思います。やっぱり締め切りがないとかけませんね。それと温度感が違ってしまうとなかなか筆が進まないといいわけするのは、アマチュアだから仕方ありません。文章でプロというのは大変な仕事だと思いますね。

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ご注文は。
そこまで彼女が楽しそうに話すと蝶ネクタイをしめたウェイターがゆっくりと話の腰を折ってくれた。

「キャラメルマキアート」

「エスプレッソ」

「あら、どうしたの?いつからコーヒーなんて飲むようになったの。あれだけ嫌いだって話していたじゃない。」

「まあ、人生いろいろあるとビターな飲み物が好きになるのさ。」

「まあそれだけ私たちも大人になったということね。」

「そういえばいくつになった?」

「失礼ね。女性に年齢は御法度よ。大体、私はあなたと同じ年でしょう。
あなたはいくつになったわけ。」

「37。おまえもうおばさんじゃないか。」

そういうと、彼女はむっとしたような、少しはにかんだような口をして僕をにらんだ。あっ痛い!なにすんだよ。

「必殺、猫パンチを食らえ!パンチパンチパンチ。」

僕はちょっとからかわれたときにする、彼女のその豊かな表情を見るのが好きだったことを思い出した。そう思うとまたからかいたくなるのが僕の悪い癖だ。
時計の時間はもう深夜一時をまわり、お客は僕たちだけだった。その静かなカフェでは僕たちのたわいないじゃれっこだけの、舞台のようになっている。

「お二人とも楽しそうですね。そう言って、若いバーテンがゆっくり、注文の品を二人に差し出した。」

「ああ、みてこのキャラメルマキアート。ミルクがハートの形している綺麗。」

「ありがとうございます。あの失礼ですが、ご夫婦ですか?」

「いいえ。友人です。」

「これは失礼しました。お二人の雰囲気があまりにも良く似ていらっしゃるものですから。」

「そうですか?」そう言って彼女は口の周りに一杯ついたクリームをまるで子供の仕草のようにぺろりと舌をだしてぬぐった。

「昔は良くそう言われたものですけど、実は今日久しぶりに会ったんですよ。
本当に何年ぶりかに。お店は何時に閉まりますか?」

「実はもう店じまいの時間ですが、お二人の再会に水を差すほど私はヤボではありません。どうぞごゆっくりしてください。」

そう言うと、バーテンはカウンターの奥に戻っていった。

「おまえは相変わらず誰でもすぐに仲良しだなあ。まあそれが良いところでもあるけど。そう言えばさっきマキアートしないって聞いたけど、このことだったの?」

「バカね。こんなことな訳無いじゃない。あなたはいつまでたってもダメな人ね。そう言えばね、私ね、少しイタリアの小さな街に行っていたの。」

「あれ、パリに行っていたんじゃなかったの?」

「まあたまには私も旅にも出かけるのよ。イタリアにはバリスタの勉強に行っていたのよ。そこで私、運命の出会いがあったのよ。ねえ聞く?」

「聞くもないだろう。是非聞きたいね。」

こうでも言っておかないと、また口をアヒルのようにひん曲げて違う話を言い出しかねない。僕はほおづえをついて頷いてみせる。久しく会っていなかったが、体で覚えた本能がさっと反応したようだ。まったく女は本当にどうでもいいことにおしゃべりで困る。と、思いながら。

「イタリアのベルガモ街でね、四つ葉のクローバーを探していたのよ。ほら、私、四つ葉のクローバー好きだったでしょう。」

「ああ、よく知っているよ。」

あれだけ僕に四つ葉のクローバーのグッツを買っておかせて忘れるはずないだろう。と、言いたいところだが。

「それで。」

<つづく>

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誰にでも共感できる、本当に些細な日常を描きだすのは、これを書いているとなかなか難しいなあと思うのです。でも頑張って続きを書くのには、また空気の乾いたいい所に行かなくてはなりませんね。
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by guruguru-kobo | 2010-04-27 00:26 | エッセイ | Comments(3)