僕に銅版画の技術のほとんどを手取足取り教えてくれた先生は、とても研究好きな方だったりする。すこし用事があって、久しぶりにふらりと訪ねてみると、今は銅版画家だった駒井哲郎さんの、作品研究をしていると言う。駒井哲郎さんという作家は、現代版画界のパイオニア的存在であり、優れた教育者だったと聞きおよんでいるが、残念ながら僕はお会いしたことがない。もう随分前に鬼籍に入られているが、今でも駒井哲郎に銅版画を習った方々の中には、はっきり生きていて彼等にとって先生は「自慢の先生」だったと言うことは、本人を知らなくてもよく分かる。
僕の先生は、その昔、駒井哲郎が海外視察に同行させたほどの深い師弟関係にあったのだと、多くの方々から聞いている。その先生が、自分の先生の作品原版をもう一度研究して、駒井哲郎の研究として纏めたいという。そう言えば、ある建築家も、ある画家も、自分が師匠の年齢を超えた時に、自分の師匠であった方の業績を纏めておきたいと言っていたことが頭を過ぎる。そんな良い弟子に恵まれた師匠は幸せである。
その駒井哲郎の銅版画の研究をしている先生が、今後の経験の為にと見せてくれた、門外不出の貴重な原版には50年の歳月を超えて、本人が作った手の痕跡がありありと残っていた。しかし原版というものはどういう訳か生々しいが、刷り上がった作品にはなまなましさはなくどれも静かな詩情があるように思う。そんなことで、久しぶりに先生と、その作品がいったいどんな技法で作られたものなのか、手にとってゆっくりと話す機会に恵まれた。銅版画にとっていつも「メチエ」が大切だという先生の教えは、きっといつも熱心に銅版画の研究をしていた先生の先生からの教えだろうと、試行錯誤が見て取れる原版にふれて、あらためて思う出来事となった。