先日の個展の際に、画廊主が父にこう尋ねた。お宅の息子さんは子供の頃からこんなに凝り性なんですか?、と。父は笑っていたが、多分遺伝だと思う。こと芸術に関しては才能は遺伝ではなく環境が大切だと聞くが、僕の凝り性はきっと両親のそれから受け継がれたものだと感じることが多い。
彼岸の入りの朝に必ず母によって作られるこのおはぎは、子供の頃から変わらない我が家の味なので、なんとも思わないのだが、実はあずきから母が作っているのである。出来たあずきを天日に干して、ひとつひとつ選別する作業から始まり、ガスではなく七輪で時間をかけて茹でる。それはよく考えると恐ろしい時間と手間をかけて作られているのだ。最近は時々やはり田んぼでいちから作る餅米を頂くことがあるので、その合作にでもなろうものなら、それはなかなか口に出来ない想像を絶する贅沢品なのである。母はそんな手間をなんとも普通のルーティーンワークとして行う。それはまるで、僕が想像し難いマニアックなことを何とも思わないように。
昔普通の出来事は、少し時代の変わった今では超贅沢品となった。次の時代には贅沢品どころか、見たことのないひとも多い時代になるのかもしれない。そう思うと今感じることの出来る全ては一期一会だと、彼岸入りに墓所にて思う。