敷居というのは見えない結界でもある。うちの敷居はまたがせない!なんて昭和のドラマがあるけれど、それは物理的なことよりも精神的なことが強い。
さて、どういうわけかギャラリーというのは敷居が高い。これはほとんどの人が同感してくれるのではないかと思うが、ふらふらと一人で入ってゆく勇気はなかなかない。僕の展覧会は比較的芸術家以外の人たちが多く画廊にやってきてくれるので、そんなことをよく耳にする。よくよく聞くとそれは清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟だったりすることもあるらしい。あながち大げさではないと自分の経験からして思う。今となっては僕なんかからすると、値段の貼っていない寿司屋にぶらりと入るのと似たような感じになるだろうか。
これだけの見えない壁を持っているギャラリーも実は千客万来を願っていて、ガラスの向こうを過ぎ去る人たちに、ちょっとくらい覗いてくれてもいいのに。とラブコールを送っていたりするのだが、その思いはなかなか伝わらないのだ。これは相思相愛なのに、実に残念なことだと思う。ちょっとしたきっかけがお互いにかけちがってしまっているだけだと思うのだが。
まあそんな画廊のどうしたらもっと来場者が増えるのか。という悩みを相談されることが実に多い。それは地方の画廊だけではなく、どこにいてもその悩みは変わらないらしい。作家としては、是非協力して、気軽に入れるような敷居の高さにして行きたいものだといつも感じている。
(写真は記事と関係ありません。大地の芸術祭のものです)