このショッキングなタイトルはラジオで聞いたものか、書籍の中で目にとまった言葉か失念したが、見聞きした言葉でとして頭に残っている。
本来なら青々としたみずみずしい葉を沢山茂らしている街路樹は、まるで棒が地面から突き刺さっているように、青空に伸びていた。そんな痛々しい風景にふとそんな言葉が頭をよぎった。
毎年ある時期になると、街路樹のまる裸の姿に心が痛む。外国では・・。というとナンセンスだが、ロンドンでは街路樹は一度植えると切らないので、とても大きくのびのび育っていると聞いたことがある。そんな自由な姿は観る側にもまた気持ちがいいものだ。
日本もそうなればいいのだけど、といつも思うのだがバッサバッサと切るのが日本流なのだろう。しかし切られたほうは、実はたまったものではないと思う。植物は人間の言葉は発しないが、あんなに切られては痛いに違いない。人間と同様には考えることはできないが、多少剪定をするのが散髪なら、手足を切るのに近いほど切っていると例えたい。ばっさり開いた切り口がまるで、睨んでいる目のように見えてるのは、そんな風に感じているからだろうか。
そんな風に思うのはちょっとと思う方もいるだろうが、先日見聞きした文章によると、枝をあまりに沢山伐採されてしまった木は、再生を待たずに、自らの命経つことがあるらしい。そう聞いてしまうのと、僕のアンテナもまあ、なかなかまんざらではないなあと自負するのだ。
「裸にしたら自殺するぞ」 まるで映画の中で生娘が発しそうな言葉だが、実は街中に人間には聞こえない声で響きわたっていたりするのかもしれない。