土曜日の誰もいない大学のギャラリーで、ぼんやり写真を眺める。普段は伝統的な版画技法で作品を作っている学生達が撮影した写真だ。多摩美版画では、写真も版画(プリント)のひとつとして大島成己教授の指導の下で、本格的なデジタル写真学習がスタートした。
先日の講評会では、写真と版画との関連に悩む学生もいたが、写真を勉強することは、自分の視点を客観的に確認する良い機会になるではないだろうかと、彼らの悩みを聞きながら思っていた。沢山の撮影すると、だんだんと自分の好みが分かってくるからだ。遠視眼的か近視眼的か、本人も自覚していない自分だけの着眼点が見えてくる。それが見えてくると自分の作る作品もおのずと変化してくるだろう。
銅版画コースの学生達が撮影した作品を見てると、彼らが普段見せない一面を見ることができた。センスがいいなあ、意外に繊細だなあ、案外鋭いなあ、版画を見ているより資質がよく分かる。写真を眺めていると、その人が何を見ていたのか、感じていたのかが、描かれたものよりあからさまに伝わってくるからだ。僕はそれがなんとも恥ずかしくなり、一時期夢中だった写真から離れてしまった。若い彼らの素直な視線を見ていると、懐かしい場所も相まって、自分が学生だった時の気持ちを思い出す。自分の作品も他人にそんな風に見られていたのだろうか。
赤裸々自分の視点を他者に見せ共有させる。写真には他の表現方法にないストレートな魅力があるように思う。
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